オヤツのオトモ(6)私の「江戸へようこそ」
京須偕充編『志ん朝の落語』1〜4巻
筑摩書房 ちくま文庫、2003年、各950円(※全6巻、以下続刊)

 十の年まで置き家育ち、高校で落語と捕物帳にめざめ、大学で黄表紙を学んだ私は、江戸文化に通じているようで実は見事に半可通。「下町育ちのちゃきちゃきの江戸っ子」というような人に会うと、妙に肩身が狭くなる。

 よって、下町で寄る喫茶店と言えば一軒位。根津の『Tea&Gallery花影抄』だ。画廊併設の店内は、殊更に下町らしさ、江戸らしさを強調しているわけではないので、私でも緊張せずに素直に寛ぐことができる。それなのに、お茶を飲みながら、江戸と地続きの下町の空気を感じてしまうのは何故だろう。

 私の好む江戸文化は、歌舞く派手な江戸趣味ではなく、洒落っけがありながらも生活臭の漂う代物である。例えば、故・古今亭志ん朝の落語、然り。見事な間合いと情感のこもったセリフ廻しが江戸の庶民の生活を再現し、志ん朝自身からにじみ出る品性と通人らしさが、すっきりとしていっそ江戸前らしい。

 現在刊行中の『志ん朝の落語』を読んでいると、活字の間からそんな名人の声が聞こえ、姿が浮かんで来る。『大山詣り』の幇間の調子の良さと金への執着。『百年目』で番頭の遊びをさらりと許す主人の大通ぶり。特に秀逸なのは廓噺で、『三人起請』に見る、女郎の色気と可愛げが一転してふてぶてしさに変わるところなど、そこには今はなき、そして今も続く江戸の空気がある。

 以前、友人と「粋という代物は、粋と口にした途端に粋でなくなる」と話したことがある。粋とは空気のような物で、私の中の「江戸」もそれに近い。

 花影抄で梅の花を象った練りきりと抹茶を前に志ん朝の本を開いてみたら、そこには、同じ色を持つ江戸の空気があった。私の江戸へようこそ。

*こちらのコラムは[書評]のメルマガ vol.148(2004.1.15発行)に掲載されたものです。

根津『Tea & Gallery 花影抄』にて